Air Language NewsBullet n°080
2024/09/20 (Fri) 12:10
「空中の本へ」をテーマに、
書籍、映像、展示、イヴェント、
芸術にまつわる対話やノートなど、
多様な記事をわずかずつ無料配信、
[Field-Museum Net]の展開や
[TH Grid]のアーカイヴ思想も紹介します。
*
海辺の墓地──2
断続連載小説「初代門司駅遺構」
平出隆
photo : unknown 1881
いまの門司港駅以前にあった「初代門司駅」と聞いて、私の中では、祖父と母から聞いていた戦前の海港都市の印象が反響した。
祖父の示してくれたものは、俗謡と燐寸箱のラベルだった。国鉄関連の蓄電池の会社に永く勤め、私が故郷を離れる頃はさして忙しそうにない風で港町を歩き、九十歳まで勤めていた。品のよい茶目っ気をもっていた祖父は、孫にこんな歌を、歌って教えてくれた。
ハルコーラッピー
ハッピーランド
フェールフィーラスヘンボンボン
オールドインドリストーイー
ホームトームスゴー
アンドアンドキュースキューア
オールオールラーン
歌い終るとき、「といってね」とすぐにつづけた。これを教えてくれた人の名前まで知らせてくれたが、「さて、その人がどこでこれを覚えたか、そこから先が分らなくてね、どうしてまた、こういう歌を私が覚えたものだろうか、ねえ」と語った。
祖父が長く過した門司港という、往時は日本の交通の要衝でもあった土地が、この歌の来歴を暗示するようではある。このほかにも、森山加代子が一九六一年にリヴァイヴァルさせた「じんじろげ」という、由来も意味も不明な歌の、門司港版を歌ってくれたこともある。
祖父が譲ってくれた燐寸箱ラベルのコレクションが、いまも私の手許にある。剝がしたものを無地の経本に貼り込み、通し番号と入手した場所や経緯を万年筆で書き留めたりしている。
「昭和五年七月十日ヨリ」と冒頭にメモがある。最初の拾得物は二つの福神の肖像が描きこまれたもので、「大阪近江岸製造」とある。一つの福の神は算盤を弾いている。一つの福の神は台帳を点けている。
添書きによれば、燐寸箱は駅の待合室や列車内で拾得されたものか、友人や縁者から貰ったものが多くを占めるようだ。他の都市の製造のものには、神戸、明石、高松、静岡、台湾、熊本、堺などが見える。
中にはキリル文字のものがあり、仁川などで製造され持ち込まれたものがある。反対に、外国人向けに日本で作られたものもある。
門司港の街にどんな店があったのかも、おのずから知れる。本町の平井屋食料品店、門司駅楼上のみかど食堂、東通町のおでんの港屋、栄町の平民食堂、同じく花の露、桜町には花の露の代理店山口酒舗、富士味噌屋、難波町のサルーン・ミツワ、堀川町の喫茶食堂やよい、山城屋百貨店、本町の中川は食料品と喫茶食堂、祝町のキャバレー・ミスニッポン、レストラン・ミカドは門司–鹿児島の鉄道でDinning Car Serviceも出していた。酒造関門正宗、日之出町の洋服屋HK號、新栄町のアサヒ・ビアスタンド、本町のキャバレー日輪、大衆食堂ドンバル、桜町日本銀行裏のノメバワカル、同じく松永酒場、東本町の門司金融無尽株式会社、祝町のバー・サニーなど。
祖父のコレクションは経本の一ページにほぼ三点ずつ、おもて面を折り返して裏にまわるが、その三分の一のあたり、総数二百三十三となったところで尽きてしまい、あとは無地のページがつづく。百九十四番めは丸子多摩川の「大花火」を知らせるラベルで、「八月十四日(土)」と印刷されている。曜日から調べるとこれは一九三七年、昭和十二年のことで、日中戦争が始まった夏である。
*
Field-Museum Net は
「門司駅遺構」保存活動を支援しています。
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断続連載小説「初代門司駅遺構」
平出隆
photo : unknown 1881
いまの門司港駅以前にあった「初代門司駅」と聞いて、私の中では、祖父と母から聞いていた戦前の海港都市の印象が反響した。
祖父の示してくれたものは、俗謡と燐寸箱のラベルだった。国鉄関連の蓄電池の会社に永く勤め、私が故郷を離れる頃はさして忙しそうにない風で港町を歩き、九十歳まで勤めていた。品のよい茶目っ気をもっていた祖父は、孫にこんな歌を、歌って教えてくれた。
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ハッピーランド
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歌い終るとき、「といってね」とすぐにつづけた。これを教えてくれた人の名前まで知らせてくれたが、「さて、その人がどこでこれを覚えたか、そこから先が分らなくてね、どうしてまた、こういう歌を私が覚えたものだろうか、ねえ」と語った。
祖父が長く過した門司港という、往時は日本の交通の要衝でもあった土地が、この歌の来歴を暗示するようではある。このほかにも、森山加代子が一九六一年にリヴァイヴァルさせた「じんじろげ」という、由来も意味も不明な歌の、門司港版を歌ってくれたこともある。
祖父が譲ってくれた燐寸箱ラベルのコレクションが、いまも私の手許にある。剝がしたものを無地の経本に貼り込み、通し番号と入手した場所や経緯を万年筆で書き留めたりしている。
「昭和五年七月十日ヨリ」と冒頭にメモがある。最初の拾得物は二つの福神の肖像が描きこまれたもので、「大阪近江岸製造」とある。一つの福の神は算盤を弾いている。一つの福の神は台帳を点けている。
添書きによれば、燐寸箱は駅の待合室や列車内で拾得されたものか、友人や縁者から貰ったものが多くを占めるようだ。他の都市の製造のものには、神戸、明石、高松、静岡、台湾、熊本、堺などが見える。
中にはキリル文字のものがあり、仁川などで製造され持ち込まれたものがある。反対に、外国人向けに日本で作られたものもある。
門司港の街にどんな店があったのかも、おのずから知れる。本町の平井屋食料品店、門司駅楼上のみかど食堂、東通町のおでんの港屋、栄町の平民食堂、同じく花の露、桜町には花の露の代理店山口酒舗、富士味噌屋、難波町のサルーン・ミツワ、堀川町の喫茶食堂やよい、山城屋百貨店、本町の中川は食料品と喫茶食堂、祝町のキャバレー・ミスニッポン、レストラン・ミカドは門司–鹿児島の鉄道でDinning Car Serviceも出していた。酒造関門正宗、日之出町の洋服屋HK號、新栄町のアサヒ・ビアスタンド、本町のキャバレー日輪、大衆食堂ドンバル、桜町日本銀行裏のノメバワカル、同じく松永酒場、東本町の門司金融無尽株式会社、祝町のバー・サニーなど。
祖父のコレクションは経本の一ページにほぼ三点ずつ、おもて面を折り返して裏にまわるが、その三分の一のあたり、総数二百三十三となったところで尽きてしまい、あとは無地のページがつづく。百九十四番めは丸子多摩川の「大花火」を知らせるラベルで、「八月十四日(土)」と印刷されている。曜日から調べるとこれは一九三七年、昭和十二年のことで、日中戦争が始まった夏である。
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